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昭和区の古代史1

皆さんは、山崎川が五軒家町の辺りで不自然に屈曲していることを知っていますね?また、藤成通が下り坂になっていて、これがパロマ運動場まで傾斜が続いていることにも、気づいていますね?これらは奈良時代に若宮皇子が行ったのです。

今から1300年ほど昔、都から、若宮皇子御一行は、観世音寺を造営するために、石仏の地(昭和区石仏町)にいらっしゃいました。

当時のこの地は南には石川(山崎川)の河口が深く入り込んだ入江があり、交通の便が良かったこと、飲料水が豊富だったから、この地を選ばれたものと考えられます。現在の松栄小学校付近は当時沼地であり、湧水が絶えることのない場所でした。この時代の人々は井戸を掘るより、自然の湧き水を生活用水としていたようです。大雨が降れば土地は一面湖水となり、水が引けば萱の茂る河原と化し、先人である、狩猟を生活の中心とする川名族の人々は、そこで狩猟と農耕の神、山の神、水の神の竜神を祭り、この暴れ川を鎮めようとしてきました。現在の広路小学校辺りです。

対照的に、農耕を生活の中心とする石仏族の人々は、石川の暴れ川を開拓することによって、川水を支配しようとしてきました。

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