しようとしてきました。
若宮皇子御一行は、朝廷の命で、この地を文明化させるために来たのです。寺を建立し、暴れ川を堤防によって制御し、農業を発展させ、人々の暮らしを良くし、租庸調の税金ももっと多く取れるようにしようとしました。奈良の都から大勢の帰化人、工人、瓦職人達も随伴してきました。
若宮皇子達は一生懸命がんばって、寺の建立、石川の堤防を完成させようとしました。瓦窯では国分寺でも使う瓦も焼かれ搬出され、ここで働くもの達にとっては、毎日がお祭り気分で、たいそう活気がみなぎっていたことでしょう。
建設中の観世音寺は、当時のこの地方では見たこともないような壮大な建物で、工事に参加している現地人にとっては例えようのないほどの誇りとなったことでしょう。棟の両端には、まるで、お化けのような珍しい鬼瓦が眼下を睨んでいます。(この天平鬼瓦は名古屋市博物館常設展示室で見ることができます。)
石川の流れを変える堤防工事も、最初は簡単な築堤だったのが、逐次強化、補給され、新しい川筋も出来上がり、よほど大きな洪水でもない限り破壊されない強固なものとなりました。これにより、今までの河原は少しずつ水田にすることができるようになり、あと少しで計画は完成というところまできました。