江戸時代、昭和区は竹藪が多く、各所で良質の泉が湧き出ていました。滝子、吹上など、現在の地名にも残っています。
御器所村(現地下鉄荒畑駅周辺)で、当時、酒造りを営んでいて大地主であった『萬家(よろずや)』では、ご主人は代々『太助』の名を襲名しておりました。
酒造りで大きく栄えていた萬家太助さんは、できたお酒は名古屋城下町でも売っていましたが、大部分は、熱田湊から船で、灘の蔵元へ送っておりました。
ある年のこと、萬家の酒樽をいっぱい積んで、灘へ向かった船が、紀州沖で台風により沈没してしまったのです。一年分の酒造りの収入が無くなってしまい、大損害を受けた萬家太助さんは、『また、こんな大損害があっては困る。』と、いろいろ考えました。
当時の御器所村は、農村地帯で、ほとんどが零細小作農家であり、かぼちゃ、大根、綿、米、麦、大豆などを作っていました。